代表ヘアメイクYUKI 自己紹介

はじめまして、ヘアメイクのYUKIです。  プロフィールブログをご覧頂きありがとうございます。自分のことを大多数に向けて話すのって昔から苦手なのですが(どこまで語っていいかの線引きが難しくて)roomN°6を立ち上げて丸3年、少し勇気を出して。私が天職と感じる今の仕事に至るまでを、振り返って書いてみることにします。すごく長くなってしまったのですが、どんなプロセスと想いで今があるか、知って頂けたら嬉しいです。

突然ですが、皆さんには夢がありますか?(本当に突然ですね…笑)
もしくは、夢を持っていましたか?

私には幼い頃から一貫した、強烈な夢がありました。
「自分の好きなコトで誰かを笑顔にしたい、役立ちたい、楽しみたい」
「やり甲斐を超えた生き甲斐を感じる仕事に就きたい」
「イチローが野球に出逢ったように、私も魂を捧げるナニカを見つけたい」

香川県の小さな田舎にて。実家の前の海の水平線を見つめては、遠い向こう側に自分が夢中になれるナニカがある気がしてならなくて。高校を卒業と共に、両親の反対諸々を押し切って、大きな期待をもって上京しました。

親が反対していたのは上京すること以上に、当時の私が専門学校に進学を希望していた事でした。教員家庭だった事もあり、田舎特有の公務員万歳な風潮もあり。笑
どんなに話を重ねても「大学にいけ、教員免許を取れ」の部分が譲られることはなく、最終的に親子の会話は「大学で教員免許を取った先には、自分の力で好きなようにして良い」というものに。

そうして私が入学を決めたのが、関東圏で教育学部が有名な埼玉大学。専攻は美術科。
幼少期から絵を習っていて描いたり創ることが大好きだったことと、入試の半分が「絵」=受験勉強が楽そうワーイ♡という安直な下心と共に選んだ学部でした。笑
親を納得させる為に行く大学で、先生になる気が無かったからこそ深く考えずに選んだ学科はのちに大誤算となりますが…

初めての一人暮らし、初めての大都会、初めての大学生活が始まり、初めてのバイトもスタートします。それも4つ掛け持ち!大学1.2年で学費を貯めて、3.4年で専門学校とWスクールするんだと上京前から決めていたから。

頑固な私の決意は固かったものの、国立大 教育学部の大学生活もなかなかの手強さでした。(そりゃそうだ)
児童心理や教育系学問もみっちりながら、私が選んだ美術科は美大生の生活と変わりなく広く深く芸術を深めるカリキュラム。デッサン、油絵、木工芸、陶芸、彫刻、デザイン、美術史、まるっと全ての授業が必須かつ、授業外の制作の時間がこんっっなに必要なんて想定外の大誤算。。。大学に残って徹夜で制作なんて光景は当たり前で、私の大学生活は過密の極みになりました。

例えばこんな感じ
6:00早朝のバイトに行く→ 9:00大学に行く→ 18:00授業後にバイトに行く→ 24:00夜、大学に戻って制作する(朝まで)→早朝のバイトへ続く。。。ひょえーーーー
課題提出前になると、家に帰るのはお風呂と着替えだけで、ほぼ大学に住んでましたね♡食欲と休欲が攻めぎあった結果、フライパン(お皿)に顔を埋めて眠って、焼きそばまみれになったこと♡。徹夜しすぎで頭が働かず、スーパーでお会計後に黄色いカゴ持ったまま帰ったこと♡。この頃のネタは尽きません、笑。
今書きながらトンデモナイと思うスケジュールも、当時からネタにしつつ楽しんでいた辺り、若さと夢を持つエネルギーがいかに凄いのかを思い知ります。

水を得た魚のように、鳥籠から出た鳥のように、小さな田舎から出た私は自由を謳歌しました。「大都会での刺激」と「生涯を通して夢中になれる私だけのナニカ」を求めて。
本物を見たい、一流に触れたい気持ちも強かったので、美術館や演奏会、舞台、ライブ、講演会、ファッションショーやイベント…気になる業界はアルバイトを通して経験したりもして(ミーハー心でエキストラのバイトとかをしたのも田舎者あるある)

卒業するまでには10数種類のアルバイトを経験し、さまざまな社会を覗けて楽しかった。とにかく吸収する日々でした。憧れの雑誌の編集長や経営者の方のお話を学生の内に沢山聞けた事、魅力的なオトナ達との出逢いも、当時の道標であり今でも財産だと感謝しています。志のある人間は強くて深い。そして温かいんだと知りました。

そんな自分の”気になる”をひたすら追求・経験していった大学生活の中で、やりたいコト、キーワードが見えてきました。
「女性を応援したい」「自らの手に想いを込める創作活動がしたい」「オンナ、のスイッチを入れるドキドキ感がたまらない」「人の想いに寄り添いたい」「私の想い を重ねる共鳴現象こそ生き甲斐」

そしてまた、学生時代に出逢えたこのセリフ「結婚式場は天国に1番近い場所。夫婦愛・親子愛・師弟愛・友愛、沢山の形の愛情に溢れた、全員が笑顔になる空間だから」という言葉が強烈に刺さったこともあり、ウェディングのヘアメイクは私の叶えたい夢として膨らんでいきます。

大学3.4年で“ヘアメイクスクールにWスクール”は実現し、昼は絵筆を握り、夜はメイクブラシを握る日々。リアルな学費出費に合間のバイト三昧は欠かせないものの、夢に向かっている青春感、やりたい事を自分の力で切り開いている達成感があり、忙しい以上に満たされていました。

(余談ですが教育学部での学び、美術専攻での制作浸けの日々も本当にかけがえのない経験でした。最初から専門学校に行けたら良かったのに…と当時は思っていたけど、今は全ての経験が私を構成する不可欠なものに感じます。)

そして大学・専門学校を卒業する年には某ヘアメイクサロンに内定が決まります。ウエディング業界は経験者優遇の為(それだけ花嫁さんのヘアメイクは特別なこと)先ずは1.2年経験を積もうという計画。我ながら夢に向かって順調に一直線というところで、大事件が2つ。(どうしよう…どんどんプロフィールが長くなる…。だって私、何かとネタがあって、、でもサラッとまとめますね!)

1つ目はヘアメイクの仕事に就くことの母親からの大反対。初めて親子の縁が切れると思った程、お互い泣きながら喧嘩しました。母は教員免許を取ったら先生になるはずだと信じていたようで、私は一切の援助なく自力で進めた夢を未だに反対されることに我慢出来なくて、ヒステリック化した強敵な母を相手に初めてにして最大の反抗・抵抗。理解は得られないままサロン就職しました。

そしてサロン就職後に現れる2つ目の事件。社命で美容師免許を取らなければならなくなった事。学費三昧から解放されたと喜んだ途端に次の学費地獄へ…当時手取り16万のサロンの給料では一人暮らしするのにギリギリで、週休2日の中でまた私はバイトを始めます。過密なスケジュールは卒業してからも変わらずでした。笑

親が応援してくれなかった事や、大学に通ったりサロンで働きながら美容学校の学費を作る事、通う事。夢を叶えるの、なんか私だけ人生ハードモードなんだけど?って落ち込む日もありましたが、一貫して変わらなかったのは夢への想いでした。絶対に叶えたかった。女の子の憧れがいっぱい詰まったウェディングの世界で、この手でヘアメイクをして花嫁姿を仕上げるだなんて、想像しただけでドキドキが止まらなかった。

社会人になって3年目の春、初めて担当した花嫁さんの1日は今でも忘れられません。会場内のゲストテーブルで「今まで見てきた中で1番綺麗!」と私がヘアメイクした花嫁さんをお友達が褒めたその一言で、大袈裟じゃなく全てが報われた気持ちになりました。この瞬間を創っていきたい、この表情がまた見たい、そう熱くなることがこの仕事の中には多々。

鏡の前でお客様にヘアメイクをしていると、鏡の中の自身の変化に瞳がキラキラし始める花嫁様がいるのですが、私はその瞬間も大好き!欲しかったおもちゃが手に入った瞬間の子どもって、表情がパァァっと明るくなり目がキラキラするじゃないですか?♡大人になっても、胸がいっぱいになる純粋な嬉しさがこみ上げるとあの表情って出るんだなって…。全てのお客様にそれを届け続けることは容易くありませんが、その為の努力を怠らない自分で居たいです。私も純粋に、その幸福感をただ創りたい。私を選んで下さったお客様の為に。

夢中でこの世界に浸り、もっと上手くなりたい、もっとお客様に近い存在となって尽くしたいと進んだ結果、今では独立してお客様の指名のみで花嫁さんに囲まれる日々となりました。求めて頂けて、全国各地の花嫁さんの大切な瞬間をクリエイト出来ること、こんなに幸せな事はありません。
お客様が私を見つけて下さりご指名頂けるからこそ、私はヘアメイクとして存在し活動出来ている今です。

おかげさまで沢山のご依頼を頂き、2022年からは素敵なヘアメイクをチームに加え、新たに始動して参ります。瀬戸内海の海を見ながら、夢中になれる仕事を夢見たかつての私も、今の私の存在には胸いっぱいになる事と思います。今では地元の母もすっかり私の応援団長。笑!私の素敵なお客様の存在や頂いた温かいお言葉は、娘の夢に大反対だった母をも変えてくれました。

大好きなことで、生き甲斐を感じられる日々。初心を忘れることなく、今後もお客様の想いに寄り添い、私の想いを重ねて。輝く花嫁姿へのヘアメイクとサポートに心を込めていきます。これまで出逢えた皆様とこれから出逢う皆様に感謝を込めて締めくくります。長い文章をお読みいただき、ありがとうございました。

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